標本箱に眠る、消えゆく証拠
― なぜ「ムシアトラス」を作ったのか
一枚の小さな紙片に、「1965.7 ○○県△△」とだけ書かれている。古い標本に添えられた、採集地と日付のラベルです。これは飾りではありません。その虫が、60年前、確かにそこにいたという、書き換えのきかない証拠です。
標本は、時間を閉じ込めます。写真は色あせ、記憶は薄れても、正しく保管された標本は何十年も姿を保ち、ラベルは「いつ・どこに・何がいたか」を静かに語り続けます。気候や環境の変化で生きものの分布が動いている今、「昔はここにいた」を知る方法は、過去に採られた標本記録しかありません。未来のことは観察でわかります。けれど過去は、そのとき誰かが記録していなければ、永遠に取り返せないのです。
その証拠の多くは、いま捨てられている
問題は、こうした宝の大半が個人の標本箱にあることです。一人のアマチュアが生涯をかけて集めた標本は、しばしば数千点にのぼります。けれど博物館は物理的に限界に近く、国内の博物館の半数以上が収蔵庫の不足を訴えています。国立科学博物館自身が「個別に持ち込まれても受け入れ先が見つからず、貴重な標本が破棄・散逸してしまう」と公に認めています。
結果として、持ち主が高齢になり、あるいは亡くなったとき、何十年ぶんもの分布記録が——「ラベルのない標本だから」と——丸ごと処分されてしまう。研究者の世界では、こうした「見えないデータ(ダークデータ)」として知られる、静かな損失です。
標本そのものより、ラベルに書かれた「いつ・どこで」というデータの方が、ずっと失われやすい。そして一度失われると、二度と作れない。
正直に言うと、私は採集家ではありません
私はプログラマです。虫の専門家でも、標本を集める人でもありません。だからこそ、外から見ていて、もったいないと思ったのです。これだけ価値のあるデータが、ただ「束ねる仕組みがない」というだけで消えていく——それは技術で解ける問題のはずだ、と。
すでに公開されている博物館の記録は、世界的なデータベース(GBIF)に集約されています。でもそこに入っているのは大半が「機関の標本」で、個人の標本箱は構造的に対象外です。観察アプリ(iNaturalistやBiome)は素晴らしいけれど、扱うのは主に「いま撮った野外の写真」で、引き出しの中の標本や、アプリが生まれる前の古い分布は射程の外にあります。
個人の、産地つきの、古い標本記録を、みんなで持ち寄れる場所——それが、まだ無かった。
産地を守りながら、束ねる
もうひとつ、束ねるのが難しかった理由があります。産地の秘匿です。希少な種ほど、正確な採集地を公開すれば乱獲を招く。だから採集者は産地を伏せる。これは正しい慎重さです。
ムシアトラスは、ここを最初から仕組みに組み込みました。精密な産地はあなたの手元に伏せたまま、地図に出すのは粗い座標だけ。希少種・保護種は自動的に県単位までぼかし、種の保存法の対象種は地点を出しません。研究や保全に役立つ「だいたいどのあたり」は共有しつつ、乱獲につながる「ピンポイント」は守る。この線引きを、人の判断任せにせず、最初から既定にしてあります。
この地図は、一人では描けない
ムシアトラスでは、一件の記録を数十秒で公表できます。種を選び、採集地と年を入れるだけ。するとその記録はみんなの分布図に一つの点として加わり、「この種が、いつ、どこまで広がっていたか」が少しずつ見えてきます。あなたの記録には記録者としてあなたの名前が残り、誰も記録していなかった県の最初の一件には「初記録」の印がつきます。
正直に言えば、この地図はまだほとんど空白です。公開されている記録を整理して下地は敷きましたが、本当の価値は個人の標本箱の中にしかない分布にあります。それは、私には出せません。出せるのは、集めてきたあなただけです。
難しく考えなくて大丈夫です。まずは一種、一件から。ラベルの写真を送っていただければ、こちらで読み取って地図に載せる、というやり方でもかまいません。
ムシアトラスを開く参考:国立科学博物館「標本セーフティネット」/日本博物館協会の収蔵状況調査/GBIF日本ノード。本稿は運営者の個人的な動機を述べたもので、特定機関の見解ではありません。